菊まつりが行われていました。(2017年10月28日〜11月17日)
多摩地域11市の菊愛好会の団体が大菊、懸崖、盆栽、切花など1500鉢の菊花を出品し、大臣賞等が決められます。
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総門です。
仁王門です。
仁王門前右側の菊の展示です。境内では七五三参りの親子を見かけました。
仁王門右側「阿形」のあは「もの事 始めを 大切に」と言う意味です。
仁王門左側「吽形」のうんは「ものごと けじめを しっかりと」と言う意味です。
仁王門前左側の菊の展示です。
不動堂です。
不動堂前右側の菊の展示です。
宝輪閣(お札所)前の菊の展示です。
不動堂内部です。
不動堂前左側の菊の展示です。
総門入った右側の菊の展示です。旗かけの松方向からの眺めです。
「厚物」又は「厚盛」「盛り咲き」とも言われます。
「管物」花弁が管状の菊の花。管の太さで「太管」「間管」「細管」に分けられます。
文字通り三色の菊です。
総門入った右側の菊の展示です。
「懸崖作り」1本の菊からたくさんの花を咲かせ、見事です。
「懸崖作り」の作り方です。
「旗かけの松」側から眺めた出店の様子です
「旗かけの松」の向こうが不動堂です。
肥後菊。肥後地方(今の熊本県)で発達した花で、長く門外不出とされていました。色彩が鮮やかなのが特徴です。
「肥後菊」を説明した立て看板です。
江戸菊。その名のとおり江戸において発達した花です。花弁の組み抱え方で分けられています。
「江戸菊」を説明した立て看板です。
菊まつりで多く飾られている「厚盛」です。高い草丈です。
「だるま作り」。花は大菊だけど、かなり背が低い小型の三本仕立てです。
五重塔です。
五重塔の相輪(そうりん)です。
五重塔前から不動堂と宝輪閣(お札所)の眺めです。
五重塔横 紅葉が始まっていました。
大師堂前にあるご詠歌碑は川澄貫主筆による「同行二人碑」です。
鍵和田釉子の句碑「未来図は直線多し早稲の花」。定慧観音の右後ろにあります。
山門です。奥に大日堂(鳴り龍)が見えます。
皆川盤水の句碑「この寺の風鐸の音濃あぢさゐ」
山口誓子の句碑「如来出て掌に受け給ふ枝垂梅」
六地蔵は六道能化(ろくどうのうげ)のお地蔵さんとして一体ごとに左端から 天道・人道・修羅・畜生・飢餓・地獄と書かれているとのことです。
六地蔵は大日堂脇に奉納されています。
高幡不動尊の墓地です。ここに程久保小僧の勝五郎、その前生という人の墓があります。
程久保小僧の勝五郎の説明文です。
程久保小僧の勝五郎、その前生という人の墓です。
高橋悦男の句碑「一と声は雲の中より百千鳥」
山内経之(やまのうちつねゆき)の供養塔です。高幡不動像内文書は、1339年の常陸合戦に従軍して戦死した山内経之の供養のため、故人の手紙に印仏し、修復されたばかりの不動明王に納入されたのではないかとも考えられています。
芭蕉の句碑「名月はふもとの露や田のくもり」
石田波郷の句碑「濃あじさゐ吾らが病みし日も遠し」
弁天池の鯉です。
弁天橋です。
菊の鉢植え等販売の出店です。
宮柊二の歌碑「蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代過ぎぬ」
野村清の歌碑「うつせみの八十の老や杖ひきて紅葉ふみわけ暮秋の山」
五重塔脇に多くの菊の展示があり、投票箱がありました。
五重塔脇の菊の展示です。